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ホリ珈琲が表現する、喫茶文化とは?
ホリ珈琲は1968年に創業し、創業してから50年以上の年月が経過しました。その間、多くのお客様にホリ珈琲のコーヒーを通してお客様に「癒し時間」を提供してまいりました。そのホリ珈琲がネット販売を通して全国のお客様に提供したい、「喫茶文化」についてご紹介いたします。
喫茶文化の発祥について
現在ホリ珈琲が運営している「カフェ・喫茶店」のルーツを辿ると、その発祥は豊臣秀吉などが活躍した戦国時代まで遡ります。平安初期の頃、禅宗の僧侶などが行った遣唐使によって、その当時中国で飲まれていたお茶の文化が日本に入ってきました。その後、中国から入ってきたお茶の文化でしたが、戦国時代になり千利休などにより日本独自の文化として、「茶の湯」、現在の茶道の文化が完成しました。
その当時、政治と文化の中心地であった関西・東海エリアに位置し、その中でも芸事に熱心であった徳川家が大きな影響力を持っていた尾張・名古屋エリアにおいて、「茶の湯」の文化が多くの民衆にも広がり、お茶とお菓子を愉しむ喫茶文化が盛り上がりを見せました。その影響が今日まで続く、名古屋・東海エリアの「喫茶店」の多さに繋がっているとされています。茶道と同様に、飲み物と共にお菓子などを一緒に楽しむその文化を喫茶店は引き継いでいるのです。
サービス精神旺盛な「モーニング」を代表する「おまけ文化」
名古屋・東海エリアの喫茶店で全国的にも知名度のある人気サービスといえば「モーニング」。朝の時間帯に喫茶店に行くと、コーヒーと一緒に食パンやゆで卵などがセットで付いてくるサービス。このサービスが生まれたのは戦後間もない昭和の頃に、愛知県一宮市の喫茶店が始めたものでした。それが広がり、現在に至っているとされています。
それではそもそも、なぜそのようなサービスが生まれたのか?その背景にあるのは、サービス精神旺盛なその商売人の精神ではないかと考えています。東海地方は政治の中心地でもあった京都と現在の首都で江戸時代の政治の中心地である東京を結ぶ移動のルートとして、江戸時代には東海道五十三次が設置され、重要な交通網の拠点が宿場町として整備されました。その中でも重要な宿場町であったのが、ホリ珈琲が位置する現在の桑名市がある、桑名宿近郊でした。53の宿場町がある中で、42番目の宿場町として桑名は設置され、そのお隣の名古屋市熱田にある宮宿は41番目の宿場町でした。この2つの宿場町が53ある宿場町の中で宿の数がTOP2に入り、宮宿一番多く、桑名宿が2番目に入っているのです。
その当時多くの人々が桑名を通り京都ー東京間を移動し、さらには「伊勢参り」でも桑名宿を経由したことが窺えます。多くの人々が行き交う中で、その旅人たちの気を引きながらも、長距離の移動で疲労した旅人に様々なサービスを提供することで疲れを癒し、お客様を喜ばせていたのではとされ、そのサービス精神が、現在の喫茶店で提供されるモーニングサービスなどを代表する「おまけ文化」へと繋がっているのではないかと考えます。
ホッと一息つく時間で「癒しの時間」を提供したい。
喫茶店のルーツともなった「茶の湯」の文化。「茶の湯」の中で重要な価値観の一つにあるのが、「今という時間と場所を大切にする」価値観です。今、ここで感じられるものを大切にしようとする価値観です。千利休が活躍し、茶の湯が広まったその当時、時代は戦国乱世の時代でした。政治の状況は安定せず、武士が活躍する激動を極める時代です。当時の戦国乱世の時代背景がある中で、お茶会という「今を大切」にして「静寂を心身共に取り戻す時間」を持つことで、喧騒の中に平静を取り戻す訓練をしていたのではないかとされています。当時の人々にとってそれが必要とされ、日々の心の平穏にとって現実的に役立ったからこそ、それほどまでに茶の湯文化が民衆にも広まったのではないかと思われます。
そして、現代の刺激の多い世の中で、美味しい珈琲と美味しいお菓子などを楽しむ時間を提供することによって、現実から少し離れて「癒しの時間」を感じることに、ホリ珈琲は貢献していきたいと考えております。